牧師 の書斎より その10『創造的関係』
   
 

教会(エクレシア)とは建物のことを指していません。神に呼び出された人たち, この集団を指しています。神さまは滅び行くこの世から一人一人を呼び出されて, 共に礼拝する民とされています。これが教会です。では,この集団は気の合った 者同士なのでしょうか。確かに,イエス・キリストを我が主として生きていると いう点で同じですからある決定的な共通項があるともいえるのですが・・教会は, 必ずしも気の合った者同士が礼拝しているところでは決してありません。自分と はリズムも波長も感性も大きく違っている方々も多くおられる所です。

つまり,人間的には私たちは「アンマッチの集まり」なのです。ところが,おも しろいことに,このアンマッチな集団に,「互いに愛し合いながら生きてゆくよ うに」と神さまは命じておられます。したがって,私たちは馬が合おうが合うま いが,お互いに受け入れ合っていかなければならないのですから,これは(関西 弁では)「えらいこっちゃ」なのです。 なかなかの課題なのです。

しかし私は,この関係は同時に,実に創造性のある関係であると思うのです。 (勿論,けしてイージーな関係ではないのですが)人間的には合うはずの無い者 同士でさえ,互いに祈り合い,支え合って生きてゆくうちに,いつの間にかお互 いが砕かれて,天の住民にふさわしい者へと変えられてゆく,正に奇跡的現象さ え発生することがあるからです。気の合うはずの無い者同士が愛し合うように, とは,一見なんとも無謀な課題のように私たちは思うのですが・・神さまは教会 という集団に必ず,この課題を出題しておられます。どうやらこれは必修科目の ようです。ですから私たちはもうこの課題に取り組むしかないのです。(こんな とき関東人はよく,やるっきゃないと言います。)

(壮年会の交わりは少々さぼりぎみのようですから別にして),アンマッチ婦人 会のみなさん!アンマッチ青年会のみなさん!くじけないでファイトしましょう !こうなったら,己が粉々に砕かれてしまうまで徹底的にこの課題に取り組んで いこうではありませんか。 (ヨハネ15:12)


牧師:北澤正明