牧師 の書斎より その13『自己実現欲に代わるもの』
   
 

20世紀に活躍したユダヤ系アメリカ人の心理学者アブラハム・マズローは 人間の欲求を五段階に分けその最上位の欲は「自己実現」であると説きました。 (晩年には,その上がある,それは自己超越欲だ。と彼は言っています。) この考えがどれだけ真理に迫るものなのか,私のような者にわかるはずがありません。しかし,長い牧会経験から,この理論に心からうなずける事が一つだけあります。それは,最上位かどうかは別として,自己実現欲は人を動かす強力な源であるということです。

しかし,ここで,はっきりしておかなければならないことがあります。それは,私たちキリスト者の信仰はこの自己実現欲が生んだものものでは決してない,ということです。御言葉にははっきりとこう語られています。
「この人々(キリスト者たち)は,血によってではなく,肉の欲求や人の意欲によってでもなく,ただ,神によって生まれたのである。」ヨハネ1:13
ですから,キリスト者は決して「自己実現のために祈る」などということはすべきではないのです。このような考えは的外れです。キリスト者は,自己実現欲を大胆に退かせ,神さまから与えられた新しい生き方を始めなければならないのです。これこそキリスト者の新しい生き方なのです。

さて,私たちの教会は今,会堂建設に臨もうとしていますが,言うまでもなく,この会堂建設のためには大きなエネルギーを必要とします。このようなとき,私たちは大きなエネルギーを生み出す自己実現欲に頼ろうとしやすいのではないでしょうか。しかし,先月学びましたように,この手を使うことは非常に危険です。といいますのは,会堂建設事業こそ,神実現の事業にほかならないからです。このことを是非ともご理解いいただくように皆さんに再びお願いする次第です。
先月,会堂建設へのキックオフをした私たちは,いよいよ意見集約に入ってゆくときがきました。しかし,言うまでもなく,教会の意見集約の場は,自己実現欲と自己実現欲とがぶつかり合う場では決してありません。一同,心一つにして,神さまの御心の実現を願いながら,御心を共に探し合う場であるのです。ですから,私たちはこのことを今こそ心に刻んで,心してこの作業に臨まなければなりません。神さまが選び取った尊い一人一人から出てくる意見にできる限り丁寧に聞き入り,その中から神さまの細き御声を聞いてゆくのです。

私たち日本は,原子力に頼り,神さまに与えられたこの大地を汚してしまいました。いまこそ,クリーンなエネルギーを見つけなければなりません。と,同時期,目黒カベナント教会では自己実現欲などよりも,もっとクリーンなエネルギーを生み出すものを一人一人が身につけなければなりません。それは何でしょうか・・。→ マタイ21:1−4に記されています。 そうです。それは「主に用いられる喜び」です。


牧師:北澤正明