●牧師
の書斎より その19『目的が違う』 |
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あるとき,教会の礼拝に初めて出席した方に,「キリスト者の信仰はご利益信仰と は違うと聞いてやって来たのですが,きょうの礼拝での祈りを聞いていると, とてもご利益主義的祈りだったように感じたのですが,キリスト者の祈りと世間 一般の祈りと,いったいどこが違うのですか?」と聞かれたことがありました。 これは実にいい質問だと思いました。そして,キリスト者はこの違いをはっきり と認識していなければいけないと,そのとき私は深く思わされたのでした。 そういえば,主イエスが教えられた祈り,「主の祈り」では,家内安全,商売繁盛, 病気が治ること,お金が溜まることなどをお願いするように等とは教えられて いません。そうです。先ず,「御名があがめられますように。御国が来ますように。 御心が天で行われるように地でも行われますように。」と祈りなさいとあります。 そして,「日々の糧,人の罪を赦す心をください」と祈りなさい。そう教えられて います。そうです。この主の祈りにはご利益主義とはかけ離れた,神さまの愛に よって救われた者のあるべき応答が教えられているのです。 では,キリスト者の祈りは,食事の前の感謝と主の祈りだけをしていればよいの でしょうか。はっきり言って,そのように祈りの乏しい信仰生活では駄目です。 敬虔なキリスト者は,己を愛してくださっている主に,いつも心の中をありのま まを告白してゆきます。そして,私たちの心の中にある悲しみ,喜び,叫び,願 い,呻きを絶えず,主に知っていただくようにしてゆきます。 このような濃い 交わりの中に生きてゆこうといたします。 では,敬虔な信仰者が具体的な喜び,叫び,願い,呻きを祈るということと, 世間一般に行われているご利益的祈りとはどこが違っているのでしょうか。 詩篇67。この詩人は(:1)「どうか,神が私たちをあわれみ,祝福し,御顔を 私たちの上に照り輝かしてくださるように。」と祈りました。つまり,彼は,自分 達の願いに神さまが応えて下さる様に迫ったのでした。そして,次に,彼はその 祈りの「理由」についてこう詠いました。(:2)「それは,あなたの道が地の上 に,あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。」 ここで,私たちは,真の神に救われた者の祈りには,神さまの深い愛に人々が気 がつき,そして,その人々が救われてゆくように,という「目的」があるという ことを教えられます。 そうです。ご利益の祈りの目的は,自分が良い思いをしたい,自分が利得を得た い,自分や自分の家族が幸せになってもらいたい,そういう目的なのです。 そうです,それは「宗教的欲望」でしかないのです。 一方,キリスト者の祈りの目的は,神のすばらしさが現れる為,神さまの愛の広 さ深さを一人でも多くの人が知ってゆく為という目的があるのです。 もし,イエス・キリストの御名によって祈る者が,万が一,己の利得を目的とし ていたとしたら,それは痛恨の極みではないでしょうか・・・。 ですから,祈りはどんなに素朴な祈りしかできなくてもいいのです。大事なのは, その祈りの目的です。 その祈りが「神さまの為の祈り」であるならば,必ず, 活きて働かれる主はその祈りに応えてくださる。 私はそう確信しています。 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら,神はその願いを聞いてくだ さるということ,これこそ神に対する私たちの確信です。」Tヨハネ5:14 | |
牧師:北澤正明 |