牧師 の書斎より その22『今年もまた』
   
 

新しい年の初めにあって皆さんはどのようなご計画をお考えでしょうか。旅行な どの楽しい計画を立てておられるかもしれません。お仕事の目標もおありでしょ う。これらのことに加えて,キリスト者は「主のために,今年はどんなお役に立 つことが出来るだろうか」と考えることもまた楽しいことです。 キリスト者に とって,神さまのお役に立つことができるのは最も幸せなことだからです。

ところで,旧約聖書ヨブ記の中で,私たちのこのような思いに,水を差すことを 言った人がいました。ヨブの友人エリファズです。彼はヨブに向かってこう言っ たのです。「人は神の役に立つことができようか。賢い人さえ,ただ自分自身の 役に立つだけだ。」(ヨブ記22:2)彼が言いたいのはこういうことです。「神さ まのお役に立ちたいと言って,一生懸命生きている人がいるが,所詮人間はそん な立派なものではない。神さまのためにといいながら,実はみんな自分のために 一生懸命なだけだ。確かに能力の高い者は自分の役に立つことができるかもしれ ないが,凡人のやることなど,実際は自分の役にさえ立たないことばかりなのだ。」   このエリファズの意見は,自分(と自分が大切にしている者)の為にしか生 きようとしない私たちの弱さを鋭く突いています。ですから説得力があります。 確かに一つの正論であるとも言えます。しかし,騙されてはいけません。この種 の立派な上から目線の意見には,神のために生きようとする者の意欲を萎えさせ るサタンの狡猾な知恵が満ちているからです。

あの生まれて間もないモーセを川から助け上げたのは名もない一人のはしためで した。救い主イエス・キリストを身ごもり,生み育てたのも,はしためのマリヤ でした。そうです。聖書によれば神さまの御業,特に大事な場面で用いられる人 は意外にも小さな者たちの場合が多いのです。能力が有るか無いかは問題になら ないのです。神さまへの信頼(信仰)と神さまのお役に立ちたいという祈りがあ る人は,必ず何かしらのお役に立ってゆくことが出来るのです。

愛知県の岩倉市で婦人伝道師をしておられるW師は,証の中でこんなことを言って おられました。→ 私の母は,私の小さなとき,寝る前,私の枕元でいつもこう お祈りしていました。「神さま,この子を神さまのお役に立つ人にしてください。」 その後も,母はずっと私のためにこのように祈ってくれていました。不思議です が,気が付くと私自身も「神さま,私を神さまのお役に立つ人にしてください。」 と祈るようになっていました。今思うと,この母の祈りがあったからこそ,私は 救われ,そして今日の幸いがあると思うのです。

この証を聞いてから,私は自分の子ども達には勿論,子どもたちのためにお祈り してくださいとどなたかに頼まれた時には,必ずこのお母さんと同じ祈りをする ことにしています。それは,神さまに救われ,神さまのお役に立てることこそ, その子が最も幸せになってゆくことであると確信しているからです。神さまのく ださったこの新しい年,皆さんお一人一人が神さまに益々用いられますように, と,今年もまた日々お祈りしてゆきたいと思っています。 ルカ1:38


牧師:北澤正明