牧師 の書斎より その29『特徴』
   
 

暑さに弱く,二度も熱中症で危うくなった経験のある私は,夏が来る度に試されます。しかし,それは,体が試されるということではなくて信仰が試されるときなのです。汗で・・特に,上半身がべとべとになる。それでなくとも日頃加齢臭に脅かされている私ですから,それはそれはもうひどいものです。帰宅して自分で脱いだシャツの悪臭に思わず「うえっ!くさっ!」となることがあるのです。それよりなにより,高温の所に居ると直ぐにボーッとなってしまい,ただ座ってるだけの活動停止おじさん(いや,おじいさん?)になってしまうことがあるのです。このような自分自身をどう考えたらよいのか・・。これがこの時期の私の課題です。

考えてみれば,私は暑さだけに弱いのではありません。自慢ではありませんが,視神経が弱くパソコンでの作業は頭痛との闘いです。これだけではありません。寝不足にも弱く,緑の少ない大都会にも弱く,また,指摘されるまでもなく,頭も相当弱いのです。(私の弱さについて話したら限がありませんのでこのくらいにしておきます)では,そういう己の弱さを私たちはどのように考えるべきなのでしょうか。

先ず,私たちは自分の弱さを覚えるときに,一番やりそうなこと,それは自分自身に不満を覚えるということです。気の小さい私のようなものは「情けない」と思い。負けず嫌いの人は「自分への怒り」を抱き,その思いが強い人は,時には自分の存在否定まで始めてしまうかもしれません。
では,なぜ人は自分の弱さを覚えさせられるとき,それを不満に感じるのでしょうか。聖書はその原因が「人と自分を比較することからくる」と教えています。
己の体を神さまからの賜物として見てゆかず,人ばかりを見ているために,無意識のうちに常に周りと自分を比較してゆく・・。つまり「強い」とか「弱い」という思いは,「人と比べて,強い,弱いという評価」であるわけです。しかし,このような生き方は大変です。常に人と比較しているために,いつも何かにつけて,劣等感を抱いたり,優越感を覚えたりしなければならないからです。(マタイ6章)

そうです。聖書によれば,私たちが弱さと感じて嘆いているそのほとんどは,実は,私たちの弱点とか,欠点とか,欠陥とか,ハンディキャップなどではなくて,実は,それらは,私たち一人一人の個性を形造っているものなのです。つまり,それは私たちの「特徴」と言うべきことなのです。そのことを理解していれば,もう私たちは,人と自分を比較して劣等感や優越感によって,エレベーターのように上がったり下がったりしなくていいのです。そうです。ですから,小生のように少々臭くとも,かなりべたべたしていようとも,娘に嫌がられても,主に愛されていることに変わりはないのですから,落ち込まずにその特徴を受け入れ,とはいえ倒れないように留意しつつ何とか生き延びて,いつの日か,コウロギの鳴く喜びの涼しい秋を迎えればいいのです。暑さに弱いお仲間のみなさん。ご一緒に耐え抜きましょう。

「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が,かえってなくてはならないものなのです。」Tコリント12:22


牧師:北澤正明