●牧師
の書斎より その34『祈りは真実が映される』 |
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私たちは,自分自身の心の中が本当はどうなっているのか,いつもよく見えて いるものなのでしょうか・・。 キリスト者である私たちは,「神様を愛し,隣人を愛し,神様を信じ,いつも 喜びつつ隣人に仕えている。」そういう心で生きていることを理想としています。 しかし,本当の私たちの心の中の実態は,どうなっているのでしょうか・・。 理想通りになっているのでしょうか,それとも,理想からは大きく離れた心で 生きている者なのでしょうか・・。これは,実に,気になるところです。
しかし,この「自分の心の中の真実」が,とてもよくわかる方法があります。
それは,祈りです。祈りは決して嘘がつけません。祈りはその人の心の中を映
し出すものだからです。たとえば,心の中に,自分の信仰が立派であることを
周りの人にアピールしたいという思いがある場合,その人は,人前に実に立派な
祈りをしてしまいます。 しかし,そのような思いのまったくない人の祈りは
心砕かれた小さき者の真実の叫びとなるのです。自己実現の思いが常に心の中
にある人は,やはり自分の願い事をいつも祈ってゆくことになり,その様な思い
の全くない人は,神さまの願いに自分の身をささげてゆく祈りとなるのです。
心の中に受け売りの信仰しか未だ育っていない人の祈りは,やはり,他の人に
まねた言い回の祈りとなってしまいますが,祈りこそささげものであることを
理解している者の祈りは,神さまにささげる言葉を自分自身で探しながらのオ
リジナルな言葉のささげものをするのです。つまり祈りは己の心の中を知らせ,
信仰を成長させてくれる最高の教師なのです。
ここで,実際にささげられた祈りを紹介したいと思います。
八月二十四日,三浦光世は三度訪ねてきた。 真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。(箴言12:19) | |
牧師:北澤正明 |