●牧師
の書斎より その35『小さな悔い改め』 |
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今思い出すと顔から火が出そうになります。 当時,私はまだ20代。 キリスト者になってまだ間もない頃でした。 その日,私は宣教師ご夫妻の前で自分の妻の話をしていました。 (実は,その時,私は妻の自慢をしたつもりだったのですが・・) その話の中で,私は思わず「愚妻」という言葉を使ったのでした。 すると,その瞬間,目の前におられた宣教師ご夫妻の顔色がさっと変わり ました。そして,先生は私の目をじっと見つめて,ゆっくりと口を開き こう言われたのでした。「兄弟。自分の妻や自分の家族にそのよう言葉を 使うのは,人殺しと同じです。」 先生の思わぬ言葉に慌てた私は,これは 日本人の言葉の使い方の問題,文化の問題であると説明しました。また, これは日本人の謙遜な心独特の表現であると説明したのですが・・ そのときの先生は毅然として,そのような私の言い分を一切受け付けられ ませんでした。今思うと,それはすばらしい霊的指導であったと思います。 私は,驚くと同時に,キリスト者になる前に居た私の世界が,如何に貧しい ものであったのか気づかされました。 それは正に目からうろこでした。 そして,私はねじれた罪の文化から一刻も早く自由になること,これは御心で あると思い,その日の夜,それは小さなことでしたけれども,悔い改めに導かれ このような言葉使いは今後一切しないという決心をするに至ったのでした。 それから,十数年経ち,私は牧師の働きを始めたのですが・・ある日,名古屋の 名東区の教会に特別集会の講師としてお招きを受けた際,私の紹介をした私の 友人でもあったその教会のS先生はこう言われたのでした。 「きょうは北澤先生をお招きしました。でもみなさん,気を付けてください。 この先生は,お話の中で,時々家族のことを随分とほめますから・・」 この紹介にはびっくりしましたが,少しうれしかったのです。と,同時に 少し悔い改めが行き過ぎたのかな,とも思い,今度は反省させられたのでした。 しかし,反省が足りないのか・・先日,ある方からこう言われてしまいました。 「何か,お話を聞いていると,目黒カベナント教会が日本一すばらしい教会の ように聞こえてきますねえ・・」
箴言8:13 「わたしは・・ねじれた言葉を憎む。」 | |
牧師:北澤正明 |